2019年
2019.04.07 第617回見学会
集合:JR常磐線「土浦駅」改札外 10:30
解散:JR常磐線「土浦駅」16:30
天気: (気温20℃/10℃)
参加人数:23名 歩行距離:6.4km
(出発)~ 土浦駅西口 ⇒[タクシー]⇒ 上高津貝塚ふるさと歴史の広場 ~ イオンモール土浦(停) ⇒[JR東日本バス]⇒ 土浦駅(停) ~ 土浦駅前(昼食)~ 土浦まちかど蔵・野村 ~ 琴平神社・不動院 ~ 外丸御殿跡 ~ 亀城公園 ~ 神龍寺 ~ 土浦藩校郁文館正門 ~ 等覚寺 ~ 東光寺 ~ 南門跡 ~ 大国屋醤油醸造所跡 ~ 矢口家住宅 ~ 土浦まちかど蔵・大徳 ~(終了)
上高津貝塚は今から約3000~4000年前の縄文時代後期・晩期につくられた関東地方でも有数の大規模な貝塚。考古資料館(入館料大人105円)で、この地の縄文人の生活の様子について学んだ後に、広場を散策しながら、貝塚断面展示施設や復元された掘立柱建物・竪穴住居などを見学しました。
霞ヶ浦はかつて太平洋とつながっていた内海で、土浦は利根川から近いこともあり、上高津貝塚でみられる貝殻の多くは汽水域に生息するヤマトシジミのもの。また、製塩用の土器も発掘されており、縄文人の生活の様子を垣間見ることができます。
土浦は霞ヶ浦や利根川を利用した水運の拠点でもあることから、土浦宿は水戸街道最大の宿場町として発展しました。現存する蔵屋敷などの古い建物、町の随所にある路のクランク(鉤形)が、かつての城下町・宿場町の姿を偲ばせます。いまに残る蔵屋敷のひとつ「野村」さんはかつて砂糖を取り扱っていた商家。
ほぼ同じ大きさの社殿と本堂が並んで建っています。かつて大きな寺子屋があった由縁から、参道脇には退筆塚の碑があります。
現在の裁判所。往時は六百坪の外丸御殿がありましたが、明治時代には裁判所になりました。建物は明治38年に焼失。また、近くには搦手門跡があります。
土浦藩土屋家九万五千石の居城・土浦城跡。かつては周囲に濠と水路が網の目のように張り巡らされた水城で、水に浮かぶ亀に見立てて亀城と呼ばれました。続日本100名城のひとつ。櫓門・霞門・高麗門は江戸時代から残る建造物で、中でも写真の櫓門(太鼓櫓)は関東で唯一現存する本丸楼門だとか。当日は土浦桜まつりのため結構な人出がありました。他にも樹齢五百年のシイの木、山村才助の碑などを見学。時間が押していたため残念ながら土浦市立博物館での見学は飛ばしました。
天文元年(1532)に土浦城主菅谷氏の菩提寺として創建。江戸時代には土浦藩主土屋家の菩提寺となりました。また、本寺の住職・秋元梅峯和尚が、有名な土浦の花火を始めたとか。
現在は土浦第一中学校の敷地内にあります。往時は文館と武館があり、文館では藤森弘庵、武館では兵学に大久保要、剣術に島田虎之助、砲術に関家、と当代一流の教授陣を揃え、「郁文館」の名は天下に鳴り響いていたそうです。
正しくは「䓁覺寺」と書きます。前身は土浦市藤沢にあった極楽寺。国重文の銅鐘は、鎌倉時代初期の常陸国守護・八田知家が寄進したもので、銘文にある「大将軍」とは源頼朝のことを指すと言われています。知家の後裔が、筑波の名族で近年「最弱の戦国大名」として人気が高まりつつある小田氏治です。
薬師堂「瑠璃光堂」、弁天堂、乃木寿子刀自(乃木希典陸軍元帥の母)の霊堂を見学。住職さんのご厚意で「花まつり」で配られた景品を頂きました。
遺構は残っていませんが、ここを通る旧水戸街道のクランクが、かつての枡形・角馬出の様子を残しています。
元禄時代創業の醤油製造業。大国屋醸造の亀甲大醤油は江戸城御用達にもなり、土浦は銚子・野田と並んで、全国でも有数の醤油醸造の地となりました。
先述の「野村」さんの向かい、矢口家のとなり。元呉服店。袖蔵と母屋二階の内部を見学させて頂きました(入館無料)。母屋二階の内装は、主人の贅を尽くしたこだわりや、手掛けた大工や左官の遊び心に溢れた細部の意匠など、見どころがいっぱい。最後に、一階の売店で土浦のお土産を買ってこの日の見学会は終了、土浦駅への帰途につきました。