サークル・史の会

第645回見学会

茗荷・八犬伝・キリシタンの里、小日向台地へ


丸の内線・茗荷谷駅の西側一帯が小日向です。茗荷畑があり、茗荷谷町でしたが、町名変更で小日向(古くは「こびなた」、現在「こひなた」)となり、東側の小石川台地と向き合う。ミョウガのなごり、滝沢馬琴の八犬伝にちなむ土地、キリシタンを幽閉した切支丹屋敷の跡、夏目漱石「坊ちゃん」慕う清のお墓とした漱石の菩提寺など、歴史の痕跡を「ほじくり散策」。土地柄、坂が名所で2,3か所アップダウン。

日 時:12月2日(土) 午後1時~
集 合:丸の内線・茗荷谷駅改札口
参加者:21名
コース:茗荷谷駅 ⇒ しばられ地蔵 ⇒ 滝沢馬琴の墓 ⇒ 大塚の地 ⇒⇒ 蛙坂 ⇒ 切支丹屋敷跡 ⇒ 切支丹坂 ⇒ 庚申坂 ⇒ 徳川慶喜終焉の地 ⇒ 夏目漱石の菩提寺 ⇒ 永井荷風の生育地 ⇒ 川口松太郎・川口浩一家のマンション ⇒ 「萩の舎跡」 ⇒ 幸田露伴・幸田文の家 ⇒丸ノ内線・後楽園駅・解散

文京区には5つの台地があり、関口・本郷・白山・小石川・小日向です。今回は小日向を中心に小石川・後楽園駅まで歩きました。
茗荷谷駅、坂下一帯の茗荷畑は、丸の内線・車両基地造成の際に消え駅名・学校名に「茗」が残っていました。縛り地蔵と滝沢馬琴の墓と、「大塚」ゆかりの地までの坂が「茗荷坂」。急な「蛙坂」を上った切支丹屋敷2万5410㎡はバテレン幽閉の地域です。下った「切支丹坂」、昔は気味の悪い崖だったそう。
夏目漱石や永井荷風が歩いた「庚申坂」、振り返ると丸の内車両基地が見え、ひと呼吸。「今井坂」を下りきり徳川慶喜終焉の地の道は、神田上水が走る水道道路。先は「安藤坂」と交わり、北野神社から水戸屋敷へ延びていました。漱石の両親眠る本法寺の墓に参拝。「坊ちゃん」の「清の墓」もここ。養子に出された漱石にとって、「清」は幻の母だったのかも。「金剛寺坂」には太田蜀山人〈狂歌〉、永井荷風が14歳まで住み、「安藤坂」は樋口一葉が通った「萩の舎」跡地。師の中島歌子の歌碑は、近くの北野神社にあります。伝通院の境内にあった処静院で、新選組の前身・浪士組が結成され、その説明板じっくり読まれ新選組は人気あり。幸田露伴・幸田文の「蝸牛庵」のあった「善光寺坂」の下りが最後でした。
坂道を上下、早い夕闇まで21名の皆さん、ご参加ありがとうございました。
(塩崎昇・記)