2024年
実施日:2月4日(日)
時間:午後13時~15時40分
歩行距離:約4㎞
参加:26名
天候:曇り
幹事:吉田健一
コース:両国駅 → 榛稲荷神社・榛馬場跡 → 緑町公園・津軽家上屋敷跡 → 両国公園・勝海舟生誕の地 → 江島杉山神社 → 回向院 → 吉良邸跡・本所松坂町公園 → 両国駅
スマホの古地図アプリ(大江戸今昔めぐり)を使い、本所の江戸時代と現代の地図を切り替えながら史跡巡りを楽しみました。
江戸時代、本所亀沢町に榛(はんのき)馬場と呼ばれた弓馬の練習場があり、その傍らに祀られていたのが榛稲荷神社です。周辺には葛飾北斎や勝海舟など多くの著名人が居を構えていました。
榛馬場の跡を偲ばせるものは何もありません。
弘前藩主津軽家の上屋敷跡で約8000坪の広さがありました。通常火の見櫓で火災を知らせる時は板木を鳴らしますが、この屋敷の火の見櫓には板木の代わりに太鼓が下がっていました。なぜこの屋敷の櫓だけに太鼓が許されていたのかは誰も知らず、本所七不思議のひとつ(津軽の太鼓)といわれました。
勝海舟は文政6年(1823)1月30日、父小吉の実家である男谷家で誕生しました。大きなパネルがあり、海舟の活躍のあとが詳しく説明されています。
左から記念碑(西郷隆盛書)、由来碑、刀の立てかけてある椅子(意味不明)のモニュメントです。
江島杉山神社は江ノ島弁財天と江戸時代の鍼術の名人杉山和一総検校を祀る神社です。杉山は五代将軍徳川綱吉の病気を治した功により、この土地を与えられました。江戸時代は「本所一ツ目弁天社」と呼ばれ、庶民の信仰を集めました。
回向院は明暦の大火(1657年)の犠牲者10万人余を葬った万人塚が起源です。有縁・無縁、人・動物にかかわらず、生あるすべてのものへの仏の慈悲を説くという理念のもと、ありとあらゆる生命が埋葬供養されています。
山東京伝、竹本義太夫など多くの著名人の墓があります。下の写真は鼠小僧次郎吉の墓です。
赤穂浪士が討ち入りをした吉良上野介義央の屋敷は広大で、約2500坪あったといわれています。公園内には赤穂事件関係展示、吉良上野介追慕碑、討入事件で命を失った吉良家家臣の碑などがあります。
同公園にある吉良上野介義央公座像です。義央が50歳の頃、自ら造らせた木製の座像(愛知県西尾市華蔵寺蔵)を基にして建立されました。
江戸時代の本所は現在のJR総武線の南側も含んでおり、そこにもたくさんの史跡があることがわかりました。また古地図アプリは同じ土地の現在と江戸時代の比較が簡単にでき、そのため大変興味深く見学することができました。