サークル・史の会

第704回学習会

南朝の忠臣「楠一族」について


日 時:8月18日(日)午後1時30分~4時30分
場 所:亀戸カメリアプラザ6階第3研修室
発 表:西村 信明


楠木正成は「建武の中興」で活躍し、後醍醐天皇の側近くに仕えた全国的に有名な武将であります。楠木一族としては「正成 正行 正儀 和田一族」までを指します。後継の長男「正行」は、正成との別れを描いた「桜井の別れ」は軍部の戦時教育に利用されたところですが、一般的には殆ど知られていません。大阪(南大阪)では隠れた人気があり、正成を「大楠公」・正行を「小楠公」と呼称しています。戦が上手く聡明のイメージ。ところが日野俊基の娘である「弁の内侍」との吉野悲恋物語と硬軟両方の話題が有名です。喧嘩相手であります足利の武将にも人気がありました。特に足利二代義詮は「正行」を尊敬していたようです。今回は「正行」を中心に、小生の住まいする岸和田に関係の深い親戚筋の「和田一族」も含め解説できればと考えています。
また大阪の地域特性(河内 和泉 摂津)との関係、さらに南大阪に関係の深い「今 東光」さん・「瀬戸内 寂聴」さんの話題も含め、大阪的な「オチ」も加えて話をさせて頂きます。


[報告]

後醍醐天皇による建武の新政で活躍した楠木一族について正成から正行、正儀までを中心に説明しました。前置きとして大阪の摂津、河内、和泉の地域性についても小生の独断と偏見を披露しました。
 歴史ロマンとしての建武の新政は吉野時代が中心になります。吉野は桜で有名ですが、飛鳥時代の壬申の乱での大海人皇子の逃げ場所として歴史に登場します。修験道の聖地であり高地にあり攻めるに困難な地域です。後醍醐天皇、後村上天皇と二代にわたり南朝政治の中心となりました。
 政治的色彩の強い南北朝時代に正成の長男正行の登場により弁の内侍との悲恋物語、正行の母久子さんの賢明さによる一族の団結、北畠親房の政治力、阿野簾子の天皇への執着等話題の多い時代となりましたが、足利二代義詮が京都嵐山宝筐院に敵である正行と席を同じくして祀られていることには南北朝の終焉にあたり一服の清涼剤になっているように感じています。是非とも一度は訪れていただきたい宝筐院です。
 当日はたくさんの皆さんに拙い話を聞いていただきました。お礼申し上げます。
 (参加者36名)                             (西村信明 記)