サークル・史の会

第709回学習会

「倭の五王」


日 時:1月12日(日)午後1時30分~4時30分
場 所:亀戸カメリアプラザ5階第2研修室
発 表:柿沼 彰


律令国家成立の転機となる六世紀の継体天皇について昨年お話ししましたが、今回は、継体天皇即位に先立つ五世紀の「倭の五王」についてお話します。
三世紀の邪馬台国の時代を経て四世紀に入ると中国史書の倭国に関する記述が途絶えます。この間の日本古代史は謎の四世紀と呼ばれており詳細は不明ですが、奈良巻向に発生した初期大和王権が勢力を拡大していた模様です。台与による晋への朝貢(266年)を最後に倭国の消息が途絶え、約150年後の五世紀初頭に再び倭国から五人の王が朝貢して来たことが宋書に記載されています。
これが所謂「倭の五王」と呼ばれている五世紀に於ける倭国の支配者達ですが、当時の東アジア諸国や倭国内の政治情勢を交えて記紀に記載されている天皇の誰が「倭の五王」に該当するか等を主に解説いたします。

[ 報告]
弥生時代から飛鳥時代までの日本古代通史のおさらいの後、昨年の学習会で解説した六世紀の継体天皇の時代に先立つ五世紀の東アジア情勢と「倭の五王」についてお話しました。
この時代は倭国内の統一が進み大陸からの先進文物の導入を盛んに行っていた時代で、次に続く継体王朝の中央集権国家化~日本国成立までの準備段階と捉えられます。
五世紀の初期大和王権の大王達は倭国内の権力闘争を勝ち抜き、王権の専制化を目指し五代に亘って宋へ朝貢しました。その状況は中国史書に詳しい記述が残っています。
 五人の大王が記紀に記載された天皇の誰に該当するかは諸説があり、一般的な比定説を紹介しました。三~五代は允恭(済)、安康(興)、雄略(武)天皇がほぼ定説となっていますが、一~二代目は、兄弟である倭王“讃”と“珍”を同じく兄弟である大鷦鷯(仁徳天皇)と菟道稚郎子(仁徳の弟)に比定する事を検討する必要があると考えています。
 寒い中29名の方々に参加いただき有難うございました。
柿沼 彰