サークル・史の会

第710回学習会

「執権北条氏の実像」


日 時:2月16日(日)午後1時30分~4時30分
場 所:亀戸カメリアプラザ6階第3研修室
発 表:広田 恭一


鎌倉幕府の執権北条氏は外国の侵略(元寇)を凌ぎ切った時宗を除き悪役と見られる場合が多いようです。何故そうなのか?以下の3つに要約されるようです。
1, 北条氏は源氏幕府の政権を略奪した。(出自は平氏でありながら)
2, ライバルの御家人達を陰湿な方法で次々と粛清し血腥い。(このため鎌倉は掘れば白骨が出る)
3, 何となく地味で暗い人が多い。
しかし、北条氏の歴代執権をつぶさに見ていくと能力優秀、人格高潔で責任感を持って内容のある政治をした人が多いことに気付かされます。上記1と2は北条氏が日本の政治や社会をしっかりと運営しようとした覚悟の現れと見ることもできますし、3は酒色に溺れたり、奇矯な言動をしたりした人がいないということではないでしょうか。今回はこの付近を説明し皆様のご意見を賜りたいと思います。
*今回の資料は小生が2013年7月28日に「素晴らしき哉執権北条氏」という題名で学習会をやった時のものに大幅な加筆修正を加えたものを使用します。


[報告]
今回は執権北条氏について以下のことをお話しました。
・北条氏は出自が低く、源氏政権を簒奪したことから多くの人(実朝以後の将軍、朝廷、有力御家人)から後ろ指を指され易い状況であった。このため単なる能力優秀だけでは駄目で、高潔な人格、品行方正な態度が求められた。初代時政から九代貞時まで殆どの執権がその条件をクリアしたが、これを室町・江戸両幕府の将軍達と比較するとその優秀性が際立っている。
・元寇は日本側が幕府・朝廷・摂関家・社寺が一致団結していたのに対し、元はハイドゥの乱、南宋の奮戦、高麗の三別抄の善戦、日本遠征軍の指導層の不和など幾多の問題を抱えていた。そこにこれ以上ないタイミングで暴風雨が襲いかかり日本は救われた。
・そんな北条氏も元寇後の社会経済の変化に対応できず1333年滅亡してしまった。
*当日は44名の方にご参加いただきました。深く感謝いたします。
*資料の部数が足りないなか、精力的に追加コピーをしてくださった淺野さんと諏訪さんにこの場を借りて厚く御礼申し上げます。            (広田恭一・記)