サークル・史の会

第717回学習会

「小泉八雲の人と文学」


日 時:9月21日(日)午後1時30分~4時30分
場 所:亀戸カメリアプラザ9階第2研修室
発 表:笛木 隆雄


ラフカディオ・ハーン(日本名、小泉八雲)は1850年ギリシャで生まれ。3歳の時、両親とアイルランドに移った。4歳の時、両親離婚し、大叔母に育てられる。15歳の時、ロンドンの神学校で事故の為、左目を失明する。短身とともに生涯のコンプレックスになる。大叔母が破産し、 天涯孤独で貧困生活を強いられる。アメリカに渡り、当てのない人生行路が始まる。幾多の 困難を乗り越えて、紀行文記者として自立をする。40歳の時、かねてより憧れていた極東の 日本に到着する。以来14年間、多才な能力を発揮し、紀行文作家、教育者(松江中学・熊本高校・東京帝国大学の英語教師)、文学者、再話文学者として、日本を世界に知らしめた功績が高い評価を受けている。
今回は、八雲の波乱に富んだ生涯と彼の文学の変質の経緯をお話ししようと考えています。八雲が最後にたどり着いた「再話文学」がどのように出来上がっていくかを「耳なし芳一のはなし」でお話ししたいと考えています。


[報告]
小泉八雲(1850~1904)は、ギリシャに生まれた作家で、本名はラフカディオ・ハーン。幼少期にアイルランドへ渡るが、家庭環境に恵まれず孤独な少年時代を送った。19歳の時、単身アメリカへ移住し、ジャーナリストとして活動。独学で文学的教養を深め、多くの紀行・随筆を書き、異文化への関心を深めていった。1890年、八雲40歳、来日。島根県松江中学校の英語教師となり、日本人女性・小泉セツと結婚、後に帰化して「小泉八雲」と名乗った。熊本五高や神戸を経て、1896年からは東京帝国大学で英文学を7年間講じた。
一方、彼は日本の民間伝承、怪談、風俗習慣に強い魅力を感じた、日本語が読めない八雲はセツの手助けで民話・伝説を理解し、それらを英語で再話し欧米に紹介した。代表作には『怪談』『知られぬ日本の面影』『日本瞥見記』などがある。作品は、単なる翻訳ではなく、現地取材に基づく観察や情緒的描写を織り交ぜ、日本の伝統文化の精神性や美意識を世界に伝える役割を果たした。また、近代化の中で失われつつあった古き日本の姿を愛惜し、独自の視点で記録に残した点でも重要である。
1904年、東京で心臓病のため死去、54歳。日本文化を欧米へ架け橋のように紹介した作家として、今も高く評価されている。参加者は35名、ご清聴ありがとうございました。(笛木 隆雄 記)