2017年
赤い靴はいてた女の子像 (2017.09.24訪問)
いまや横浜・山下公園のシンボルとも言える、童謡『赤い靴』の少女像ですが、近年ではモデルとなった少女が実在の人物であることも広く認知されつつあります。少女の名前は佐野きみ (1902-11)。きみ3歳の時、母親の岩崎かよは北海道の鈴木志郎という人物と結婚し、北海道に入植することになりますが、開拓生活の厳しさを懸念したかよは、養父の佐野安吉の仲介により、きみの養育をアメリカ人宣教師のヒュエット夫妻に託すことにします。しかしその時すでにきみは結核に冒されており、結局アメリカに連れて行けずに、東京・麻布の鳥居坂教会の孤児院「永坂孤女院」に預けられます。『赤い靴』作詞者・野口雨情はこの頃北海道に住んでいて、入植した鈴木夫妻と面識があり、彼らから身の上話を聞いたとのことです(この頃きみはまだ存命中)。その後きみは再び母親に会うこともできずわずか9歳で亡くなりましたが、母親のかよは、きみはヒュエット夫妻と一緒にアメリカに渡ったものと思い込んでおり、東京の孤児院で亡くなったことも知らされないまま一生を過ごしたと言われています。
ところが、この「定説」に対する異議もあり、要するに「佐野安吉とヒュエット夫妻、さらには鈴木夫妻と野口雨情との接点が曖昧で確証がなく、どこかで事実誤認もしくは捏造があるのではないか」というものです。ただしこの異議にもやや問題点があり、またエピソードの根幹を否定するものでもないため、この「赤い靴論争」は結局のところ今もって決着はついておらず、定説が定説のまま現在に至っているようです。
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山下公園「赤い靴はいてた女の子」像 | 麻布十番「きみちゃん」像(2016年1月港七福神めぐりで撮影) |
『赤い靴』の少女像ですが、実は山下公園以外にもあと数カ所に存在します。きみが亡くなった地、東京・麻布十番の「きみちゃん」像、母親の岩崎かよの故郷、静岡・日本平の「母子像」、鈴木夫妻が入植した北海道・留寿都村の「母思像」、鈴木夫妻が晩年を過ごした北海道・小樽の「赤い靴 親子像」、きみが母親と初めて北海道に降り立った函館・西波止場美術館前の「赤い靴の少女像」、そして義父・鈴木志郎の故郷、青森県鰺ヶ沢町・海の駅わんどの「赤い靴 親子三人像」。また他にも東京・青山霊園、横浜駅、アメリカ・サンディエゴ、北海道・留寿都村(母かよのみ)、札幌・山鼻公園(歌碑のみ)にもあります。これだけ各地に建像されるのは、きみの可哀想な境遇から「せめて銅像で生前の願いを叶えてあげたい」という人々の供養心の顕れなのかもしれません。もし訪れる機会がありましたら、これら全てのコンプリートを目指してみてはいかがでしょうか?