2025年
日 時:10月19日(日)午後1時30分~4時30分
場 所:亀戸カメリアプラザ6階第3研修室
発 表:広田 恭一
今回は7世紀から12世紀にかけて北東アジアに存在したユニークな二つの国、渤海(ぼっかい)と契丹(きったん)を取り上げます。
・7世紀末(698年)から10世紀初め(926年)に掛けて朝鮮半島北部、満州東部等に彗星のように現れ消えていった国、それが靺輵(まつかつ)人の国、渤海国です。仏教を篤く敬い「海東の盛国」と言われ日本とも非常に親交の深かったこの国を少ない資料から浮き彫りにしたいと思います。(小生は靺輵人こそが日本人の有力なルーツだと考えています。)
・中国の歴史は「農耕漢民族と北方遊牧民族の抗争の歴史である。」と言われますが、10世紀以降は北方遊牧民族が優勢となり中国本部(華北、華中、華南)を支配する国が現れます。916年に建国した契丹はその先駆者となった王朝で北宋を圧迫し強盛を誇りました。1125年に金に滅ぼされてしまうのですが、契丹の歴史はこれで終わりではありません。第二幕があるのです。第二幕は当日のお楽しみとしましょう。
多くの皆様のご参加を期待しております。
[報告]
今回の学習会は7~12世紀に存在した北東アジアの両国について以下のようなことをお話しました。 ・渤海国の靺輵人は日本人のルーツではないか。その証拠にお互いに非常な親近感を示し、外交交渉と言うよりは親戚付き合いのようであった。(漢詩合戦等) ・ただし、日本側の対応、即ちやたら尊大である一方、無関心で義理人情に欠ける所は問題であり、しかもそれが現在まで修正されていない。 ・契丹(遼)は燕雲十六州をしっかり統治し遊牧民族の政治行政能力を証明、その後の遊牧征服王朝(金元清)の先駆となった。 ・契丹が西遷したカラキタイ(西遼)は東西交渉の要衝の地域で文化交流に貢献、契丹が訛ったキタイ(露)、キャセイ(英)等は東アジアを漠然と指す言葉として今も各国語に残っている。 参加者は38名でした。開会前のホチキス作業を多くの方にお手伝いいただきました。深く感謝致します。
(広田恭一・記)